彼らは生きている

ゼイリブ』@吉祥寺バウスシアター

88年、ジョン・カーペンター

生まれた年の映画だ。

 

見終わったあと、まちの中を歩いてみよう!

おもしろすぎる!こわすぎる!

東京は本当にいろんな人が歩いているもんね、ゆっくり歩いてる人なんか特に映画の中のスローモーションな人と同じように見えて、例の顔が重なって見えて…こっわ!映画見てない人のためにこれ以上言わないけど!笑

例の顔の人たちが通信したあとって、すべての例の人たちにこちらの姿格好が割れてるわけだから、どのやつらをサングラスごしにみても、ゆっくりギロリとこっちを見ている気がして怖い…という。映画後は、サングラスしてないのにその気分を味わえました。カメラワークが絶妙です。で、サングラスだから、効果的にモノクロに画面が切り替わるでしょ。素晴らしい映画的アイデア。ほか、音楽が素晴らしい効果をあげている。まだ何も起こってない時も、「怖さの予兆」が十分にある。ホラー映画は、いや、普通の映画は本当に音って大事なんだなあ、と思う。あと、主演のプロレスラーと同僚のメガネかけろかけたくないのやりとりでマジに喧嘩するところは迫力があり、面白かった。警官が一般人を取り押さえるシーンとか明らかに本気で殴ってなくて音で補ってる感じだったけど、喧嘩のところはあきらかに本気に見えた。メガネとかもうどうでもよくて、プロレス技見せるためのシーンなのかな…これはもうギャグだなって思うくらい長かった!笑

家帰ってテレビつけたら安部総理が映ってて、もちろん例の顔が重なって見えましたとも。タイムリーすぎて、ぐえええとなった。そして、正直笑えないし、絶望的な気持ちにすらなる。集団的自衛権うんぬんや残業代うんぬんやら。やっぱりこいつも例のやつらと契約して大金もらってる地球人なんだろか。そうじゃなかたとしても近いことしてるよなー…とある大国と、戦争で儲けるために契約してるのだから(そうとしか思えない)。

明日からすべての広告に「OBEY(従え)」が重なって見えそうだな…。それはちょっとやだけど、人(同僚とかまちゆく人とか)の顔に重なって見えるのは楽しみでもある…。壮大な嘘で構成された広告業に従事していることに辟易しすぎていたから(「いまちょうど大量消費社会を風刺しているウエルベックの「素粒子」を読んでいるから、というのもある)そういう意味でも気分にピッタリすぎた!ほんとにね、そういうことだと思う。ゼイリブを大学か高校の時に見てたら広告業界に足を踏み入れなかった気すらするが。笑

傑作。世の中の圧倒的大部分を構成する不条理のしくみが目に見えた時、やっつける!と意気込む主人公の姿は痛快だけど、やはりあまり世の中を知らず深く考えないオバカだからそういう気になるんだろう、と…。実際、自分だったら(べつに頭いいわけじゃないけど)、臆病だし、最後主人公が気に入った女性がとった行動みたいに、結局あきらめてしまう気がする…。圧倒的に強い支配者層を前にするとね…。ほんと腐ってるなあ、その考え。完全に飼いならされちゃってる、あーあ。思わず鏡の前でサングラスをかけてみる。例の顔になってないか。なんてね。…もしかしたら、世界は、深く考えないでとにかく行動するオバカが救うものなのかもしれないな。

単なるB級映画じゃない。SFホラーとしても傑作だけど、すんごい風刺劇だった。