小説『素粒子』 断片的な感想

 

一般的には、バスケよりサッカーのほうが観戦が面白いはずだ。観ていて興奮する、選手たちの一挙一動に身体が熱くなる、という点では。バスケはしょっちゅうシュートが入る。高度なレベルのゲームにおいては数えきれないほどの細かい種類の動きが交錯し、職人技ともいえるほどのパスワーク、ドリブル、コート全体に視野をめぐらした結果、瞬間的に判断した連携プレーによるゴール等…高度で綿密な戦略が展開されているのだが、(長年プレーした身からすると個人的にはサッカーよりも戦略は高度ではないか?インターハイ出場校に割と偏差値が高い高校が多いのはそのためだ。元々頭がましなこどものほうが高度な戦略を理解できるというわけだ。)プレー経験がなく戦略を理解しない観戦者には、ある種かんたんで単純に見えてしまうそれは、退屈さの原因にもなるだろう。特にアジア人同士のいかにも粛々としてひきしまっているけどダイナミックさに欠けるこぶりな試合などは。NBAの一部のサーカスの曲芸のようなプレーのような例外をのぞいては。

一方、サッカーのほうがなかなかゴールに結びつかない。淡々としたプレーが続くが、その積み重ねでごくたまにゴールまで辿り着く。全体のプレー時間が2時間近くある中で、ゴールに結びつくプレー時間はゲーム全体のごくわずかな時間にすぎない。しかし、それはいつ来るかわからない。だから、淡々としたプレーさえも緊張感を持って、エキサイティングに見ることができる。

緩急があるから、面白いわけだ。

人生も同じで、快楽だとか喜びだとかがひっきりなしに発生し続いたとしよう。それはもはや、快楽ではなくなる。人は同じことが続くと飽きるのだ。

好きな広告のキャッチコピーというものはすくないが、ある種の本質をついた「異常も日々続くと正常になる。」というものには感心している。(うろおぼえ…たしか『戦場のメリー・クリスマス』の宣伝コピー。)

 

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ミシェル・ウエルベックの長編小説『素粒子』を読み終わった。

読書会に参加するためという自主的とは言いがたいいささかミーハーな気持ちで読みはじめたものの、非常に興味深く、面白く読ませてもらった。

読み終わって1時間ほど経ったが、読み終わった瞬間はカタルシスのようなものがあったものの、正直、暗澹たる気持ちがじわじわと続いている。

この気持ちは、小学2年生の時にはじめて手塚治虫の「火の鳥」の輪廻転生にまつわるエピソードを読んだ時、あるいは、それ以降の人生でときおり「死」や「宇宙の広がり」について思考をめぐらした時の気持ちに、似ている。

どうも自分は、困ったことに(楽しいことでもあるが)読んだ本や映画の世界に入り込みすぎて出られなかったり、影響を受けすぎて日常に支障をきたすことがあるが、この小説も割とそういう種類のものであるような気がする。

すべてのユートピアディストピアなのかもしれない。

恋愛経験、いや、異性との関係にかかわらず、人との社会的交わりが乏しい自分にとっては、身を以て迫ってくる切実な内容であった。もっと年を重ねてからでも響くだろうが、就職して以来消費社会に従事し欲望を供給する仕事に疑問を持ち続けてきたことなども手伝って、十分今読んでよかったと思える代物であった。読みながら最近観た映画『ゼイリブ』のことも思い出す。

フランスというヨーロッパを代表する先進国が舞台であるが、まさに閉塞感が広がる一方の今の日本とも重なる。

社会に出て、「若さ」がやたら重視される社会であることに気づいたということも、この小説を面白く恐ろしく読むことに拍車をかけた。大学卒業まで、特にジェンダーの問題に興味はなかった。というか、むしろ女であることを最大限に活かして行動する知人などにはどうしても共感できない(というか、能力的にできない)ところがあったのだが、一般的な日本社会(というか先進国全般)では若さ至上主義が横行しているようで、会社に入って以来(圧倒的な男社会ということもあるが)、社会的な場では、固有の思考を持った固有の人間としてではなく、明らかにただの「若い女」として見られる(暗に「女」は「若さ」しか魅力がないというように言われる)ことをひしひしと感じる機会が多く(「若くてうらやましい」という言葉は実際に何度も聞いたし、年を取っているだけでそれ以外の要素を無視して差別発言をする者もいた)、そのような点からも興味深く読んだ。

 

「愛情」「幸福」「家族の絆」…すべて今この時代・背景を生きているからこその、「思い込み」なのだろうか?そんなものは存在しないというのか?だとしたら、さみしすぎる。つい考え込んでしまう。

まあ面白かったし、壮大な話であり、万一この話のようなことが近未来に起こるとしても、もはや今の自分は生きていないくらいは未来のことだと思うのだが、どうしても希望的な気持ちにはなれないなあ、というところである。

 

絶望の感情に行くまでの前半も読者をひっぱる物語的な面白さは十分にあったんだけど(登場人物の生まれ育ちによる人生の因果関係、こういうの好き。最後になぜこういう描かれかたがなされたか、語り手の正体がわかってゾッとするわけだけど)、最後のガラッと変わるとこ、圧倒的に違う次元に読者をあっというまに連れていくのがすごい、と思った。

 

ふああ…いろいろ「悩み」がある今ってなんだかんだ幸せなのかもなあ。とりあえず気持ちも動きもメリハリのある生活をしようかなあ。