6月9日。ロックの日。らしいよ。無垢の日とも。

 

 

『罪の手ざわり』@文化村。午前中に鑑賞。

あまりにも普通のひとびとが、あまりにもなんでもない、不条理とも言える理由で殺人に至る。抑制されたトーンで物語は進む。淡々と、淡々と。いや、なんでもない理由、というのは他人事だから、あくまでも観てる側から、か。本人にとっては十分に抜き差しならぬ問題があり、暴力という手段を用いて筋を通すという結論に至ったのだろう。その、他人事のように見る周囲との隔たり、他者との隔たりこそが、事件を引き起こすのかもしれない。『一瞬の夢』のラストシーン、突き放したカメラワークにおいても、主人公と他者との圧倒的な隔たりが浮き彫りになるのが印象的だったことを思い出す。日常においての残酷なドラマはドラマチックには起こらない。静かに起こる。普通の人の間に起きる。こういう主題を派手に描かないのにエンターテイメントとして成立させているのは凄いと思う。
チャオ・タオ演じる風俗店の受付の女性が刃物を手に暴漢に立ち向かった時、妙にかっこよくそこだけ別のジャンル映画のように見えた。なんか急に画面の感じも演技も変わったよね?カンフーアクション映画やんけ!っていう。(淡々とした映画全体に対してそこだけキル・ビルみたい。)
あと、新人の男の子の澄んだ目が魅力的なのが印象的だった。彼はいい!ジャ・ジャンクーってドキュメンタリーもたくさんやってきただけあって、新人とか素人の発掘がうまい。

パンフを読んで、チャオ・タオ(余貴美子さんに似てる。割と好きな顔。)がジャ・ジャンクーの妻だということをはじめて知る。なんだ、またそのパターンかい…。(ジャ監督が間違いなく素晴らしい映画監督だということはとりあえずおいといて)綺麗な女優と結婚するために映画監督になるというのは、映画監督になる動機としてゼロ%とは言えないんじゃないか?まあ、女優も映画に出たいから、監督に寄っていくということもあるからお互い様か…?というのは下司の勘繰りで、うん、でも、きっといいパターンなんだろうな。監督の妻が監督作品のミューズだというのは。 彼らはたぶん監督がアマチュア時代からの映画製作の仲間だろうしね。一番の同志みたいなものだろう。ただ、風俗店の客に札束で殴られるところの演出がちょっとぬるかったように思うのですが…。あれだけリアルに血の流れる痛みとか日常のだるい感じとか描いてるのに、チャオ・タオさん、明らかに殴られてないのに、殴られる前に首を振っていらっしゃる…。効果音だけが激しく、本当に殴られてる感ゼロ。ジャ監督、妻の顔は傷つけたくなかったか…。なんというか、とっさにナイフで刺すくらい逆上(決心)するには、言葉の暴力だけじゃなく、肉体的にもちゃんと殴られてないと、納得できないような気がしたのだけど…。女優魂的にもやってほしかったのですが。いや、でも、ふたつめの強盗を繰り返す男のエピソードなんか、田舎に退屈だからってことで、殺意の大義名分なんかないしね。まあ、言葉にカッとなったということだけでいいのかなあ。

ジャ・ジャンクーってジャ監督っていうべき?ジャンクー監督っていうべき?スティーブン・スピルバーグ監督をスティーブン監督って普通言わないよねえ…とすると、ジャンクー監督のほうが位置的に正解な気がするんだけど、ジャが名字なの?いろんな記事の表記では「ジャ監督」ですが。

 

昼食はマメヒコ。文化村のジュンク堂で『冥途』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を購入し、コーヒーショップでタダ券使う。

夜はバウスへ。まだ終わってなかったのよ、ライブがね。

鈴木慶一さんのバンド聴く。不思議な耳に残るきもちいいサウンド!

https://www.youtube.com/watch?v=23jfg6n75TI

なんか気に入ったのでCD買っちゃった。

というか、栗コーダーカルテットの左から3番目、右から2番目の、大柄で無口でぬぼーっとした人がいるではないかい…!しらんかった!!あの人の顔は好きですよ。MCの時間とか出てくる時とかひっこむ時とかは、ほんとぬぼーっとかふにゃーっとかしてるのに(おっさんのくせにかわいい感じ)、ギターテクめっちゃかっこいいんですけど!なんやねん!ギャップもえか!時計じかけのオレンジのイラストTシャツを着ていたよ。しらべたら、「図書館」ってなまえのバンドもやってるらしい。バンド名に惹かれる。

 オワリカラは歌よりも映像がよかったかな。
明日は本当の意味で最終日。当日券並ぼうかな。