英国発お屋敷愛憎劇にハマる

http://www9.nhk.or.jp/kaigai/downton/

ドラマ『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』

 

おっおっおもしろいよぉぉぉ。

録画してた1、2話観た。

貴族同士の愛憎やかけひきの部分が肝だったりするのですが、それよりも、使用人たちの悲喜こもごも、職務をまっとうする姿に心を打たれるのであります。なんていうか、仕事に悩んでいる今、というか、正直無気力モードに突入している今、誇りを持って仕事をしている人を見るとぐっとくるものがあって…。その感情の正体がうらやましさなのかうしろめたさなのかなんなのかは判断がつきませんが。というかね、「執事」はもちろんそうだと思っていたけど、「貴族」も立派な「仕事」なんだよね。金持ちには金持ちの、貧乏人には貧乏人の、その人なりの大変さがあるのだなあ、と思い知った。

 

自分からはかけ離れた世界の上流貴族のお屋敷ものって面白いよね。そのほうが中途半端に自分と近い世界を見るよりもファンタジーになるというか。自分の中の少女的な「憧れ」ボルテージが上がる…!日本の財閥とかのお屋敷もの(たとえば「犬神家の一族」や「華麗なる一族」など)もけっこう好きだけど、貴族の本場英国が舞台で、美術もすごくって、一定のレベル以上にならないわけがない。だって、この人たち、身なりとかだけじゃなくて「精神」が貴族なんだもん。企画・脚本も貴族出身者が手がけたらしい。お金はたくさん持ってるけど心は貧しくて教養もないちょっとした小金持ちの話なんかはよくあるけど、そういうのと違うもんね。先進国の現代小説などは、格差がなくなってきてるから(わずかの成金と大多数の総中流以下)そういう意味でのドキドキした物語はなかなかないってことだね。そういうものを求めるなら、古典か。シナリオの講座に行った時も、「身分の差がなくなったこと」と「携帯電話の登場」がドラマ(主に恋愛というジャンルの)をつまらなくした大きな原因のひとつである、と講師が言ってたっけ。(身分の違いが恋の大きな障害にはなりえないし、「君の名は」で携帯があったらあの待ち合わせでの度重なる不幸な偶然は起こらない。)

 

インドなどのアジア諸国行った人に、身分があるからこそ、自分はこれをやればいい、こう生きればいい、と、あっけらかんとわりきって生きている人もいる、そういう世界もある、と聞いた。中途半端に自由だとか平等だとかをすべての人間が持っていると言われているのに実際は必ずしもそうじゃない今の世界は幸せとはいえないのかもしれないね。自由の牢獄!ブログ書いてるのになんだけどさ、インターネットなんて諸悪の根源ですよね、、広い世界を見ることができ、一時的に万能感が増したとしても、それは虚構であり、結局、何者にもなれない自分を思い知らされて絶望するだけなんだもの。だったらね、もっと昔の時代みたいに、広大な範囲の知らなくてもいい情報は知らないまま、生まれてから決まった場所で決まったことに一生懸命従事して汗を流して毎日自分の身の丈にあった喜びを得て一生を終えるほうが幸せで健全なんじゃないかなあ、とか思う。「人間はアイスクリームを知らなければ、アイスクリームをほしがらないのです。」そういう意味では、この間見た『ブルージャスミン』のジャスミンなんかもっとも不幸だよね。違う世界を知ってしまった人。

 

話がそれましたが、『ダウントン・アビー』、一庶民から見るとひじょーにきらびやかでワクワクする世界なわけですね。3話以降も楽しみです。

とっても格調高いお屋敷で使用人の細やかなルールも厳しく決まっているため、私なんか勤められたとしてもその日のうちにクビだろうなあ…とか妄想していました。笑

 

このブログは当初映画に関してだけにする予定でしたが、ドラマなども面白いものがありますので、幅広い範囲での映像作品を見た記録にすることにします。というか、映画に限らず、面白いお話が好きなので、何か見たり聞いたりした時の忘備録にしていければ。(本も含めるか、迷う…。)